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2004年11月26日

2004年度秋の叙勲に際しまして、
''旭日小綬章''を受章致しました!

 フラメンコ新たな発見求め

秋のセビリアはフラメンコ色に染められる。新たな発見を求め、連日さまざまな舞台を視察していた小松原さんのもとへ受賞の朗報が届いた。
「すてきな舞台をお見せしたいと走り続けてきただけ。それを認めていただき大変光栄です。」
日本のフラメンコ界を四十年にわたり牽引してきた。フラメンコとの出合いは偶然だった。「昭和三十四年、新劇の俳優をしていましたが、おのずと安保反対闘争に巻き込まれ、少々うんざりしていました。そのときです、ピラール・ロペス舞踊団の日本公演を見たのは。こんなふうに舞台で燃焼したい、と切実に思いました」
すべてをなげうってスペインへ。昭和四十四年に自身の舞踊団を設立した。五十八年には堀田善衛さんの「ゴヤ」を下敷きに「ゴヤ―光と影―」を創作、芸術祭大賞を受賞するとともに、スペイン公演で絶賛を博すなど、常に第一線で活躍を続けてきた。
座右の銘は「アウン・アプレンド(それでも私は学ぶ)」。ゴヤの言葉である。来年三月、「ゴヤ」を再演する。



2004年11月3日 
読売新聞 

 フラメンコは生きる証し

「フラメンコは生きる証し。その踊りを日本でも芸術と認めていただけてうれしい。評価に恥じないよう、これからも新しい舞台を作っていきたい」。
フラメンコ一途に生きてきた舞踊家は、優雅な笑みを浮かべながら、新たな意気込みを語った。
柳橋の邦楽一家の長女。日本舞踊、クラシックバレエを学び女優になったが、1959年にピラール・ロペス氏の舞台を見た事が転機となった。一曲の中に演劇、歌、踊りすべてがある斬新な表現に、「何てドラマチックなんだろう」と圧倒された。
単身でスペインへ渡ったのは四十二年前。生活のすれ違いから画家の夫と別れることになったが、「やりたい事に巡り合った幸せは、どんな困難にも勝る」と穏やかに話す。
日本で旗揚げした舞踊団は今年三十五周年を迎えた。「舞台芸術としての美」を追求する創作フラメンコは、本場でも高い評価を受ける。二年前には名門の祭典「フェスティバル・カンテ・デ・ラス・ミナ」に、外国の舞踊団として初めて出演した。
「大切なのは心から踊ること。生きる悲しみ、つらさをはねのけ、経験のすべてを踊りに映す事」。これからは精神や経験を若い才能に伝えることにも力を注ぐつもりだ。

2004年11月3日 
産経新聞 


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