秋のセビリアはフラメンコ色に染められる。新たな発見を求め、連日さまざまな舞台を視察していた小松原さんのもとへ受賞の朗報が届いた。
「すてきな舞台をお見せしたいと走り続けてきただけ。それを認めていただき大変光栄です。」
日本のフラメンコ界を四十年にわたり牽引してきた。フラメンコとの出合いは偶然だった。「昭和三十四年、新劇の俳優をしていましたが、おのずと安保反対闘争に巻き込まれ、少々うんざりしていました。そのときです、ピラール・ロペス舞踊団の日本公演を見たのは。こんなふうに舞台で燃焼したい、と切実に思いました」
すべてをなげうってスペインへ。昭和四十四年に自身の舞踊団を設立した。五十八年には堀田善衛さんの「ゴヤ」を下敷きに「ゴヤ―光と影―」を創作、芸術祭大賞を受賞するとともに、スペイン公演で絶賛を博すなど、常に第一線で活躍を続けてきた。
座右の銘は「アウン・アプレンド(それでも私は学ぶ)」。ゴヤの言葉である。来年三月、「ゴヤ」を再演する。
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