2002年9月7日
第42回カンテ・デ・ラス・ミナス国際フェスティバル
XLII FESTIVAL INTERNACIONAL DEL CANTE DE LAS MINAS での出演が
スペイン各紙にとりあげられました
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8月7日〜17日の間に開催されました最も由緒あるフラメンコ・フェスティバル、第42回カンテ・デ・ラス・ミナス国際フェスティバルにおいて、「血の婚礼」を上演し、予想を越える反響を受ける事ができました。この度の成功が今後日本のフラメンコを志す若い舞踊手たちの活躍の場の広がりに繋がる大変意義ある公演であった事を心より嬉しく思い、また精一杯頑張った舞踊団を誇りに思っております。
小松原庸子
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■ EL PAISエル・パイス紙 2002年8月14日 |
「血の婚礼」を日本版で
振付家小松原庸子がラ・ウニオンにてロルカ魂を込めた
控えめで尊敬すべき公演を上演
日本で最も重要なスペイン舞踊、フラメンコの舞踊団が第42回カンテ・デ・ラス・ミナス国際フェスティバルで「血の婚礼」を上演した。その中で小松原庸子はたとえ東洋美学の見解を付加しているかもしれないが、ロルカの精神と意志はその完全無欠さを保持している。
小松原の脚色はゆったりとした思慮深いもので、彼女にとって、事実それ自体よりも事実についての熟考に関心があるようである。東洋美学にはその伝説があり、もしこれほど地理的にも文化的にもかけ離れたという本質を考慮に入れるならば、この注目すべき作品に独創的な悲劇という特徴づけをしている。
アルヴァレス・カバジェロ
■ EL FAROエルファロ紙 2002年8月14日 |
ラ・ウニオンにおいてフラメンコの素晴らしい舞台
YOKOはフラメンコの源泉を飲み、その踊りに含まれる意味と柔軟性というものをすっかり吸収しているという事を実証した。彼女の功績とは彼女の心をフラメンコアートの果てしない世界に開放しているという事にある。彼女は作家G・ロルカから力強さと情熱を学び、彼女の感性は情熱―つまり文学の大部分を構成する憎しみ、復讐、名誉といったもの―から派生する動機と反応を同一にする事を可能にした。日本人アーティスト達は、優雅さと軽快さをもって表情豊かで気後れする事もなかった。また彼女達はフラメンコに溶解され、わずかに選ばれた人だけが学び、同時に発展しうる本質を認識するに至っていることが見受けられた。
完璧なる踊り
小松原庸子スペイン舞踊団はラ・ウニオン国際フェスティバルの本部に集まったフラメンコに理解ある観衆を大いに驚かせた。「これらの日本人は最後に私たちより上手くガスパチョをつくるだろう」という感嘆の声を聞くことは不思議な事ではなかった。その動きと力強さと、豊かな表現力はどれをとっても、これらの東洋の女の子達がアンダルシア人と全く同じ心を持って生まれたのではないかと言われる程だった。
舞台装置はとても丹念に製作されており、観衆はステージ上で起こったことに対する感嘆の中に包まれていた。
ホセ・ヴィクトリア
■ LA OPINIONラ・オピニオン紙 2002年8月14日 |
ラ・ウニオンにおいてフラメンコの素晴らしい舞台
YOKOは東洋の国で我々の芸術フラメンコで大成功を収めており、フラメンコの情熱と感動を恥じらうことなく、観衆に表現するというフラメンコの特徴を発見して以来、スペインと実際にはセヴィリャとの実り多き40年の関係を築いている。日本の小松原庸子スペイン舞踊団はその正確さとプロ意識をもった「血の婚礼」と「フラメンコ」でラ・ウニオンで熱烈な歓迎を受けた。
この舞踊団のアンダルシアと東洋の香りの前に屈服した。
とうとう日本人
観衆とラ・ウニオンの通りの間についに日本人。うぬぼれていたフラメンコ・フェスティバルは日本人―ラ・ウニオンでは逸話的な存在であった―が到着して初めて成年に達する。
今年のフェスティバルのプレゴネラ(開会の辞を述べる人)でもあるYOKOの到着は奇跡を起こした。日出ずる旧帝国がラ・ウニオンとアンダルシアを結びつけた。「禅」スピリッツのブレリア万歳
アントニオ・パラ
■ LA VERDADラ・ヴェルダ紙 2002年8月13日 |
日本のドゥエンデ
ラ・ウニオンでの小松原庸子スペイン舞踊団の存在が 日本人のフラメンコに対する情熱を証明する
東洋から西洋へ、日本からスペインへ、東京からラ・ウニオンへ。炭鉱の町がカンテ・デ・ラス・ミナスが開催される日まで、まだ世に知られていない東洋の香りで包まれた。小さな日本人グループの上陸がことの発端である。このグループは小松原庸子スペインする舞踊団を構成。
■ LA OPINIONラ・オピニオン紙 2002年8月12日 |
小松原庸子スペイン舞踊団が舞台で「血の婚礼」を上演
世界でも最も由緒あるとされるラ・ウニオンのカンテ・デ・ラス・ミナス国際フェスティバルで上演したということで、彼女の母国でも永遠に忘れられないものとなるであろう。
徹底的に磨きをかけた作品を持ち込んだ女性が率いる舞踊団を公的な名のもとに招聘したことで、このフェスティバルは本年その国際性を証明している。
とてもフラメンコ的な日本女性
日本人舞踊手YOKOは開会の辞を述べるという大役を任され、カンテ・デ・ラス・ミナスに甘美な“魅力”をもたらしてくれた。「国際フェスティバル」という別名を持つこのコンクールは今回、今までで最も国際的なものとなった。外国人がプレゴネラ(開会の辞を述べる人)を行うという名誉を預かることは初めてであり、その感動も明らかになった。
YOKOは述べる。「私にとって、これは、40年間フラメンコを愛し、日本とアジア全般にこの芸術を普及してきたことに対する素晴らしいプレゼントです。ですから、大いなる誇りを持ってこの大役を引き受けました」
自身の舞踊団も持つこの舞踊手は、気品に満ちた「俳句」のように簡潔で感動的な開会の辞を述べた。
プレゴネラ(彼女)は彼女の言葉の情熱とそこの雰囲気の中で醸し出される感動を伝える術を心得ていた。観衆は、最も熱烈な瞬間に2度ほど彼女を拍手で後押しした。その中の一度は彼女は演説の話の筋道を見失う程であった。「私どこまで話したかしら」
最後に小松原は以下のように明言した。「芸術に国境はない」
そして「私に人生の意味を教えてくれた」この国に感謝をした。
■ LA OPINIONラ・オピニオン紙 2002年8月9日 |
小松原の開会の辞が日本とラ・ウニオンの芸術の絆を結ぶ
この舞踊家はラ・ウニオンの人々になぜ彼女がフラメンコを愛したかを語り、 日本特有の歌と二人の愛弟子の踊りをプレゼントする
昨日日本人舞踊家小松原庸子が行った開会の辞はまさに贈りものであった。庸子はプレゴネラ(開会の辞を述べる人)を任されたことは、カンテ・デ・ラス・ミナス国際フェスティバルがアーティスト人生40周年記念に彼女に贈ってくれたプレゼントだと感じ、お返しの贈りものをしたいと考えていた。そして彼女は感動的な開会の辞を述べ、フラメンコに対する彼女の愛情がどのように生まれて、育っていったかということを語った。
彼女の友達の由哲に日本古来の曲を三味線で弾くように促した。これは芸術が呼び覚ましてくれる感動には国境がないということを実演するためであった。この演奏をはさんで、彼女はエンリケ・エル・コホの踊りに魅了されたことを語った。小松原は彼を日本に招くことに成功した。「彼が観衆の前に出るとすぐにまず沈黙が訪れます。そして彼の踊りの途中で観衆は涙を流していたのです。これを見ながら私は本物の芸術は世界中で感ずることができるのだということを知りました。この時が、私がフラメンコを選んだことが誤りではなかったということを知った時でした。」
生きるための力を与えてくれたフラメンコに感謝しながら、日本人アーティストは別れを告げた。
■ LA VERDADラ・ヴェルダ紙 2002年8月9日 |
「この芸術は私の中で眠っていた」
振付家小松原庸子が開会の辞で自分の生涯を歴訪し、
日本伝統とフラメンコの脚色で舞台を飾る
切れ長の目と東洋訛り。これらは今年のプレゴネラ(開会の辞を述べる人)小松原庸子の特徴である。大聖堂の中の日本人。この奇妙な事実は説明してしかるべきである。それゆえ、庸子は彼女の演説を彼女とフラメンコの間の魔力がどのように生まれたかを語ることに集中させた。このようにして、開会の辞は物語へと変わった。
■ LA OPINIONラ・オピニオン紙 2002年8月8日 |
日本人フラメンコダンサーYOKO KOMATSUBARA率いるフラメンコ舞踊団がガルシア・ロルカの`血の婚礼´の魂を月曜日に披露。UNIONのフェスティバルが日本の舞踊団を連れて来るとは初めての快挙。KOMATSUBARAはフラメンコを愛し“ドゥエンデ”は特定の国民、人種が持つものではなく大地から滲み出るものであると考える。又今夜YOKOはプレゴネラとしてフェスティバルの開催を告げる。スペインと日本の架け橋となる。
マイテ・ゴバンテス
■ LA VERDADラ・ヴェルダ紙 2002年8月7日 |
私はまさしくフラメンコ・ダンサーです。
それ以外の何者でもありません。
フラメンコを自分の国に広めた日本人アーティストが明日フェスティバルの開会の辞を表明する。
スペインから何千キロも離れたところで生まれた。しかしながらYOKOは日出ずる国で大変人気を博する芸術である、フラメンコの世界で最も偉大な人物の一人である。
今回彼女の脚色によるG・ロルカの“血の婚礼”を発表する為にラ・ウニオンに来た。YOKOは日本人で初めて“カンテ・デ・ラス・ミナス国際フェスティバル”のプレゴン(開会の辞)を述べ、彼女は偉大な功績者となる。
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