GOYA - LUZ Y SOMBRA -
1983年小松原庸子スペイン舞踊団創立15周年記念公演として、4年の歳月を掛けて創作。昭和58年度文化庁芸術祭舞踊部門の芸術大賞に輝いた小松原庸子の記念すべき作品。
1979年、堀田善衛のライフ・ワークと云われる大作「ゴヤ」光と影4部作に感銘を受け、当時バルセロナに滞在中の先生を訪ね通い続け多くのご助言を受け完成した。天才画家ゴヤの目の当たりに見た華麗な宮廷と凄惨な暗黒の世界。人々の運命の光と影を舞踊化し、高い評価を得、翌年には他国のスペイン舞踊団として初めてスペイン本国より要請を受け、マドリッド、セヴィリャ、バルセロナで公演。センセーションを巻き起こした。
■作品内容■
Goya―光と影―〜光 LUZ〜
栄光に満ちたフランシスコ・デ・ゴヤの前半生
アラゴンの寒村に生まれながらも豊かな色彩を生み続け、華麗なる宮廷生活を舞台に名画を生む |
1.アラゴンのホタ
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天才画家ゴヤが少年時代を過ごしたアラゴン地方の中心都市サラゴサでは、毎年守護聖母ピラールの祭りが開かれる。民族衣裳を身に着けた人々が350本のロウソクを燈して町中を行進と、アラゴン各地から集まった男女達がスペイン民族舞踊の中で最もダイナミックなアラゴンのホタの覇を競う。激しいリズムのカスタネットを鳴らしながら跳躍し、回転する、スペインの民族舞踏の中でも最もダイナミックで楽しい曲。 |
2.アルバ公爵夫人
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重病に倒れ全聾となったゴヤ。この生命の危機をくぐりぬけた後、アルバ公爵夫人への愛が芽生える。
パトロンと画家の関係に過ぎなかったが、アルバ公爵夫人の死でゴヤの思慕は急速にふくらみ、砂地に“ゴヤだけを”と書き、彼女の右手には“アルバとゴヤ”の二つの指輪が見える。
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3.カルトンの時代
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サンタ・バルバラ王立綴れ織工場の為の原寸大下絵(カルトンと呼ぶ)の仕事は、病に倒れるまでの重要な仕事となり、庶民と貴族が一体となった生への素朴な喜びを表している。カルトンを基に織り上げたタピストリは民衆のエネルギーと同時に、王制の没落も予告している。
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名闘牛士マルティンチョはムレタに代えて帽子をかざし足かせをはめて絶体絶命の窮地に自ら追い込み、至難の技を披瀝する一瞬をゴヤは画いている。
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5.着衣のマハ
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『裸のマハ』と共に神秘性を帯びた美しい名画。
マハのモデルをアルバ公爵夫人と直接結び付ける事が難しいとはいえ、スペインのヴィナスと讃えられ、1802年40歳の若さで急逝する彼女へのはるかなるオマージュと思える。
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6.鰯の埋葬
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前2作で労働の神聖さを描いた後、抑圧されていた民衆のエネルギーはカーニバル最後の1日、灰の水曜日に催される鰯の埋葬で爆発する。
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〜影 SOMBRA〜
ゴヤの後半生に漂う凄惨な影。業病で音の世界を失ったゴヤ。戦争の惨禍と黒の時代、そしてピントゥラ・ネグラス(黒い絵)へ。 |
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19世紀に入ると、ゴヤは堅苦しい公式肖像画から遠ざかり自立してたくましく生きる労働者や不屈の庶民の生活を伸びやかに描きはじめている。
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2.戦争の惨禍
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マドリッド5月2日/5月3日 1808年から6年間に渡り断続的に行われたフランス軍によるスペイン民衆による虐殺。戦争の不条理、更には戦後の為政者や上層部に対する批判を刻む。独立戦争が終わるとゴヤは「ヨーロッパに暴君に対する我が国民の英雄的行動と栄光の反乱」を大作に永遠化した。
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写真/スタッフ・テス(株)
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